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無双神伝英信流抜刀兵法
流派の歴史
1.伝系  2.各師範の略歴 3.細川家墓所 4.大森流の成立に関する考察

  4.大森流の成立に関する一考察



高知市立自由民権記念館に寄託してある細川家文書のなかに、メモ書きだろうと思っていた
『大森流居合術名覚』(写真16)がありました。しかし、これはメモ書きではなく慶応二年に下村茂市から細川義昌(当時は嶋村善馬)にだされた大森流の伝書でした。



(写真16) 『大森流居合術名覚』
(高知市立自由民権記念館蔵)

大森流は大森六郎左衛門に新陰流を習った林六太夫が無雙流の居合に取り入れ、初めに稽古するように決めたとされています。一般には大森流は大森六郎左衛門が新陰流に小笠原流礼法を取り入れて編纂したというのが通説ですが、この伝書はこの通説を覆すかもしれない内容を含んでいます。
伝書には大森流の伝系を下記のように記しています。


上泉武蔵守無楽齊
上泉孫次郎義胤
一宮左太夫照信
柳生石但宗嚴
柳生但馬守宗雉
柳生十兵衛三嚴
伊藤一刀齊景久
伊藤典膳正忠
大森六郎左衛門正光
林六太夫守正
林安太夫政
大黒元右衛門清勝
松吉八左衛門久盛
山川久蔵幸雅
下村茂市定政


この伝系は一見すると一つの流れのように見え、人名にも誤字が多いのですが、
以下のように解釈すべきではないでしょうか。


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上泉武蔵守信綱
上泉孫次郎義胤 
大森六郎左衛門正光

長野無楽入道槿露斎
上泉孫次郎義胤
大森六郎左衛門正光

一宮左太夫照信
大森六郎左衛門正光

柳生石但宗嚴
柳生但馬守宗雉
柳生十兵衛三嚴
大森六郎左衛門正光

伊藤一刀齊景久
伊藤典膳正忠
大森六郎左衛門正光

つまり、大森六郎左衛門は、
(1)新陰流の開祖である上泉伊勢守の兄の子(甥)であり、無楽流居合の
長野無楽齊に入門した上泉孫次郎に新陰流・無楽流を習った。

(2)長野無楽齊の門人で一宮流を開いた一宮左太夫照信に一宮流を習った。

(3)柳生新陰流の柳生十兵衛三嚴に習った。

(4)一刀流の伊藤典膳正忠(註:小野典膳忠也)に一刀流を習った。



 以上の点から、大森流の居合は新陰流・無楽流・一宮流・柳生新陰流・一刀流を基に
大森六郎左衛門によって編纂されたということになります。

 江戸時代には、一人が複数の流派を習得するということは珍しいことではありませんので、あるいはこのようなことがあったのかもしれません。
 上泉伊勢守の名が上泉武蔵守無楽齊となっているのは上泉伊勢守と長野無楽齊の名が書き伝えられるなかで混乱、混同されてしまったためではないでしょうか。
 今後研究を続け、新しい資料を発見して大森流の成立過程についてより明らかにしていきたいと思います。

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